中国現代文学3
太太がもらってきたのでながめてみました。お堅い文学翻訳雑誌だと思ってたら、漫画の訳まで載ってるんですね。おやおや。目次はこのへん。
さて、その漫画、張暁雨の「発明家喬正飛」を千野拓政氏が訳したものです。文学翻訳雑誌が漫画を掲載することについては、同人でない私がとやかく言う筋合いはありません。個人的にはジャンジャン訳せば、と思いますが、ただ、「文学」をうたっている雑誌に漫画はミスマッチではありますね。
それとは別のレベルで、この漫画翻訳には、いささか問題を感じました。
漫画というのは、絵と文字で情報を伝達するメディアです。しかも、背景の看板やオノマトペなどの文字的情報が絵画的に処理されるという特色があります。そうした絵画化された文字情報が漫画表現を支える重要な柱となっているのは、言うまでもないことです。だから、漫画を正確に翻訳しようとしたら、そうした部分までも翻訳しなくてはならなくなります。
中華圏で翻訳・刊行される日本漫画でも、そのあたりはいろいろですねえ。正規版でも多種多様ですが、まあ、絵とあまりに一体化していると手を出さず、書き換えられるレベルのものあれば書き換える、って感じかな。流石に、背景のカンバンとかは、大抵書き直してますけれど。海賊版とかでも、やっぱり気合いの入り方で多種多様ねえ。訳してなかったり、ベタの上に小さく白抜きで活字乗せてたり(笑)。
それで、この翻訳漫画、吹き出しやモノローグ・ナレーションなどの活字部分は完全に翻訳されているものの、オノマトペや背景の看板などの絵画的文字情報については、一箇所「科学技術の難題を克服しよう」というスローガンの看板の訳が枠外に注記されているだけ、他は全く訳出されていません。脇に活字で併記するわけでもないし、欄外に注記するでもない、またこのことに関するエクスキューズも全く見あたりません。これは漫画の翻訳としては如何なものでしょうか?少なくとも、中国語の知識の無い日本人読者が読んで、そうした絵画的文字表現部分を理解できるようにはなっていないのですから、不完全な訳であると言わざるを得ません。
文学作品を日本人の翻訳家や研究者が訳す、それは同じ文字表現を訓練したモノ同士ですしノウハウの蓄積もありますから、妥当性の高い訳出が可能でしょう。しかし、漫画は文学作品や論文とは全く異なる表現形態ですから、翻訳の方法はまた別に考えられるべきですし、字の翻訳だけでなく絵の翻訳までをも考慮されなくてはなりません。中国研究業界にも、コミケ出店歴のある漫画の書き手は数名いらっしゃるわけで、そういう人が訳すか、あるいは絵の書き手と組んで絵画部分と文字部分を共訳するか、ということになるでしょう。
ところが、この漫画翻訳は活字情報のみに偏って翻訳している。そこからは、優れた中国の漫画を小説と同列に扱い評価したい、その意気込みと裏腹、コマで分節化された絵画表現と文字表現のハイブリッドとしての漫画表現に敬意を払っておらず、実際には文字表現至上な文学中心主義に無自覚なままに囚われている、そんな姿勢が透けて見えてしまいます。
そういえば、中国同時代漫画の翻訳としては、昨夏、北京五輪に合わせてモーニングが1ヶ月、連続翻訳掲載してましたねえ。そこでは、陸明が横書きで左から右にページをめくるようになってたけど、その他の作家のは日本語に合わせて縦書き右左になってたと思いました。一方、中国での日本漫画の翻訳では、左右をミラーにして横書きに対応したり、コマ単位で左右を入れ替えたり、はたまた縦書き右左のママだったり、いろいろな方法があります。この漫画翻訳は横書きそのままですが、なぜこの方法を選んだのか、一言ほしかったところです。
更に、この漫画、私の目がどこまで確かかは自信ありませんが、コマ割りには工夫の跡が見られずさして上手いとも思えないし、絵にも動感が感じられれないし、どこに翻訳するまでの価値があったのか、正直、よくわかりませんでした。なぜ「最もすぐれた作品」であると評価されたのか、漫画表現について、夏目房野介やいしかわじゅん以降の評論を踏まえて、他の中国漫画作品と比較した上で改めて説明していただきたいものです。あわせて、文革を扱った数ある文学作品や映画・ドラマなどの映像作品などと比べて、この漫画がどのように優れた表現を有しているのかについてもご説明いただかないと、漫画を他の文化ジャンルと対等に評価しよう姿勢が具体性を欠いてしまうのではないかと。
それと、翻訳に附されている「中国漫画の変貌が語るもの」という評論。これは『あじあ遊学』97に掲載された文章と一部重複していると断り書きがあります。同じような文章を何度も発表なさるのはご本人の主義でしょうからとやかく言いません。個人的には、具体的例証に欠けており、皮相的な現象の共通点を殊更に強調するばかりの、説得力に欠ける文章だと思いますが。
それはさておき、『あじあ遊学』からこのこの「評論」の間に、『北京なるほど文化読本』や『中国同時代文化研究』が出ており、そこで山下一夫氏や太太が漫画・ラノベ・コスプレなどについて論じているワケです。そして、今回の「評論」には、『あじあ遊学』段階では言及していなかったが、『北京なるほど文化読本』や『中国同時代文化研究』には載せている、中国の近ごろの漫画とかラノベとかコスプレについての記述が増えています。紹介の仕方も、そこはかとなく、似通ってるんだよねえ。
ご本人にはこれらを寄贈していますから、お読みになっているはずです。でも、参考文献には全く言及していません。直接記述を引用したわけではなくても、自分より先に言及しているものがあれば、参考文献に明記するのが業界の仁義ではないでしょうか?
しかしその一方で、コミックマーケットをイベントの固有名詞ではなく、同人誌即売会の一般名詞であるとする、文学研究者ならいざ知らず、漫画を扱う人が絶対にやってはいけない錯誤は訂正されていないんですよねえ(涙)。モーニングの連載や、角川・漫友提携や丁氷留学、清華大のサークルと明治大の同人誌関係のアレなど、昨年来の日中漫画交流史のメルクマール的事件の数々について全然触れてないのも、いかがなものかと。
全体に、もうちょっと精密にさまざまな面を突き詰めていただきたいなあ、と感じた次第。





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